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で、洋服の断捨離は? 再開7歩目

断捨離⑥

前回、「洋服の断捨離」という本について
書きました。

ふと本の紹介しているのかと勘違い
しましたが(私が)、、
違いました。

私が断捨離するためのレポート
のようなもので、
断捨離のために読んだ本でしかない。

読んで私はどうしたいと思ったのか、
どうすることにしたのか、
どうしたのか、
が大事なのだ、と思い出しました。

「洋服の断捨離」には
今までと勝手がちがうこと、
概念が変わった面も出ていました。

例えば、やましたさんは過去に
洋服は1シーズンでお役御免。
手放す方針であると言われていました。

ですが今は違うようです。

もっとタームが短くなった。

つまり1シーズン待たずに
手放すことも出てきていると。

その理由が興味深く、また
私も多少当てはまるかも
という内容でした。

ならば、私も同理由で
循環を早めるべきか?

と考えました。
 
だがしかし、収入が著しく
低い状況(今)での循環=購入には
かなりムリがあります。
 
さらに仕事が多岐に渡り
時間も多く取られる中、

正直、洋服を選びに行く時間は
捻出できません。

ただ、別の考え方として
●収入が著しく低い
●余裕がない毎日

が、洋服を買えないことや
古いエネルギーを纏う服を
着たり、収納していることにある

としたら?
 
本当に本当にそうだと
何か証明できたり、
数値で測れたり、
ものすごくはっきり本人が自覚したら?

さらに、
そもそもやましたさんは

手放すことが先

と常々言われています。

モノに限らずで、

確かに持ったままより
手を離したり
身軽、
風通しをよくしておいてから

の方が、確実に「次」は
入ってきやすい。

これはよく言われることでもありますが、
私自身もそう実感します。


ではどうするか?

これはもう考えるまでもなく、
買える買えないに拘ることなく、
心配することなく、

淡々と、もう古いと感じるもの、
ぜーんぜん着ていない、
着る予定が見当たらない服を
手放す行動に移れ、

ということだろうと思います。

正直なところ、さほど気は乗っていません。

それなりに愛着があったり
思い出や思い入れがあったりするものが
割と多いからです。

(これでも何度も断捨離に
取り組んできましたし、
「ときめき」もやってみて
それでも残っている服が多い)

私の場合、着なくても
持っていたい服が割とあるのです。

こうやってツラツラと思い巡らし
気づいたのは、

着ていないからといって
手放したくない服は
手放したくない

という抵抗感が比較的優勢
ということ。

下手をすれば執着と言われかねない。

(だから人様には言いたくない、、、、

ってことは執着じゃん、と認めるか)


一転。

着ていなくても、手元に置いておきたい服を
持っていてもいい

と私は思います。

ただ量のバランス感覚を持たないと
大事な思い出の品に埋もれていく可能性は

長く生きれば生きるほど、
大事に生きれば生きるほど
増えていくかもしれません。

それを抱えて幸せか?

楽しいか?

うれしいか?

満たされるのか?


そこはちょっと立ち止まって
見つめた方がいいかもしれません。


そんな想いが、重しになって
腰まで重くしていないか。

これってもしや、
あんまりなくなっていた
「過去執着型」につながっていないか?

いや、まさにこれぞ「過去執着型」じゃない??


ここで深呼吸。


例えばずっと持っていたいものに
母が編んだストールがあります。

10代のころにあっちの世界に
いきまして。

いってみれば形見です。

使うこともできず
長らく衣装ケースに入れ
服の入れ替えのときにだけ
目にし、手に取ります。


例えばインドで友人となった
チベット人にもらったセーターが
あります。

インドでは毎日着ていましたが
色が派手なこともあり
帰国後はほとんど袖を通していないまま
母のストール同様
長いこと衣装ケースに入っています。


いろんなことがありすぎて
いろんな思いをして
救われたような気がしたり
お守りのように感じて
手放すことができません。


当時とは別人生のように
私はもう変わってしまったのに。


もしこれを手放すことで
もっと明るく、もっと軽く、
もっと安心が増えるのだとしたら、

それでも私はこのセーターを
お守りとして持っていたいだろうか。


正直、なかなかの難問です。

そうかどうかなんて
やってみなければわからなく。

やる=処分してしまったら
二度と手元に戻ることはない。

もうきっと二度と会えないけれど
本当に本当に大事な出会いで
存在だった人との接点を
なくしてしまうような
そんな思いに駆られるから。

そのセーターを見るたび、
当時の不可思議な感情を抱えた
自分を思い出す。

そのセーターを着て歩いた
風景を思い出す、

これが執着だとしても
ならばまだ執着していたい

のかもしれない。


まあ、誰にも迷惑かけかせんしね。

誰かを困らせることもありません。


考え方を変え、

そのセーターや形見のストールを
置いておくスペースの確保のために

服を減らそう。

そういうのも「あり」ですよね。


ノスタルジックでセンチメンタル。
だけど大事な忘れたくない感覚。
まあ、それもいっか。


ここで、これを「ときめき」で考えてみる。

上記2点、ときめきは

ありません。

そりゃーそうですよね。

「ときめき」は多分、過去に向けてより
今や未来に向けて起こるものな気がします。


この2点はあきらかに過去のもの。
せいぜい、今の慰めに、時になるくらい。

過去に思いを寄せる者は弱き者
な気がします。

しかしまあ、そもそも弱いってわかってるから。
それを受け入れ、この2点、まだ大事にしよう。


この本を読み、他の断捨離本も一気に
読み、本当は、いっそ、今着ていない服は
一気に手放すくらいがいい

と思ったのです。

こうやって吟味すれば、
それなりに理由や思いがあるから

結局、ぐるっと回って元の位置。

減らせそうにない

と思いまして。

今のところ、案の定です。


そもそもさ、捨てるってのは
イヤなんですよね。

誰かが来てくれたり、
有効に使ってくれるなら
よろこんで手放せる。
(モノも多い)

かつては1年に1回、開催される
バザーがあったのです。

そこに寄付をしていました。
10年以上も。

それがコロナ禍でなくなり、
循環が鈍りました。


古着を買ってくれるところは
いくつもあるけれど、
ブランド品でもない
なんでもない服は
いくらにもならない

というか引き受けても
くれない場合も多い。

気に入ってくれそうな人に
あげる、という案もあるけれど、

それほどの物は持っていない。
(そもそもこのご時世、難しいし、
そういう交友関係ないし)


服の循環が気軽にできると
ありがたいですね。

そうしたらもっと気軽に
身軽になる選択もしやすくなる。


で、結局どうするのか?

1、仕方ないから、大事な服は
愛を確かめ保存。

2、TPOに合わせて必要と思った
ぜーんぜん着る機会ない
(かしこまった機会がコロナ禍でほぼ壊滅)
服はこの機会に手放そう。

3、なんとなーく残していた服を
見つけたら使用頻度に関わらず手放す。

4、ほつれが出てきて着にくくなっている服は
お直しが可能か早めに確認。不可なら手放す。
可能ならお直しに出す、あるいはする。

とする。

●この確認を2月中にする

●処分方法について
引き取ってくれるところがあるか探す

あれば、引き取りまで保管
なければ、あきらめろー

★できればこの機会にバザーの代わりとなるような
服循環に一役かってくれる機関なりを見つけたい


上記をしつつ、ひとつ気になってることを発見。

そもそも服の収納に難あり。
この改善をしたい。

服の置き場が乱れているのは
決して服の量だけの問題ではない。

服の量、多分、さほど多い方では
もはやない。


整理整頓が下手すぎ

なのだと自己分析。

モノの置き場を作れとは、片付術で
言われることのひとつ。

これが猛然と下手。

わからなくなる。

何か脳に欠陥があるのか?と疑いたくなるほど。


できればこれを、誰かにしてもらいたい!

何度となく、そういうのを手伝ってくれる人に
本気で頼もうと思ったのですが、

人には知られたくない部分を晒すわけです。

なかなか勇気が出てこない。


この発見は数年前からわかっていたのですが
今のところ解決せぬまま。

この機会にそれを解決できれば
革命の如き変化が生まれるかもしれない
(過大な期待)。


まずはやると掲げた4点にトライする
ことをここで宣言しておきます。


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